90. ジム・トンプソンの家 2015年12月25日

  日本でJTといえば「Japan Tobacco: 日本たばこ産業」をまず連想するが、タイではタイシルクの高級ブランドである「Jim Thompson: ジム・トンプソン」である。
今月、タイに出張した休日に12年ぶりに「ジム・トンプソンの家」を訪れた。
この家の紹介は入場時に渡される日本語版説明を、そのまま引用するのが良いだろう。

 「ジム・トンプソンハウスにようこそいらっしゃいました。 ジム・トンプソンは1906年生まれのアメリカ人です。 第2次世界大戦前は建築家として働いていましたが、34才の時、アメリカ陸軍に志願して、ヨーロッパで従軍しました。
第2次世界大戦の終了間際にOSSの情報将校としてタイに派遣され、退役するまでバンコクに勤務し、タイに永住しました。彼は家内産業であったシルクの手織りに興味を持ち、その普及に没頭しました。デザイナーとしても、染色家としても、天賦の才能に恵まれていた彼は、プリント模様のシルクを生み出し、その結果、タイシルクの名を世界的に広めました。
 
 ジム・トンプソンハウスは、タイの古い建築様式を多く取り入れ、チーク材でできた家を6軒取り集めて作られたものです。大部分は100年から200年以上経ており、そのうちの何軒かは古い都アユタヤから川を下って運ばれたものです。昔の建築法に従って復元しましたが、随所に彼の建築家としてのアイデアが生かされています。古い様式に従った中で、シャンデリアだけが電化されていました。しかし、このシャンデリアも、18世紀ならびに19世紀のもので、すでに富裕な貴族の家にはありました。ジム・トンプソンハウスの建築にあってはこの国の風習に従って占い師が必要な宗教上の占いを行いました。
 
 この家は1959年の完成後まもなく一般に公開されました。展示品は昔のタイのものばかりでなく、周辺諸国の古美術品も含まれています。彼は1967年3月26日、マレーシアのキャメロン高原で休暇中、謎の失踪をとげましたが、いまだに手掛かりもつかめていません。

 一般公開以来、ハウスの収益金はバンコクの盲学校の為につかわれています。毎日、日本語ガイドがおります。 尚、毎週火曜日の午前中には日本人のボランティアがガイドを行っております。

 1976年に、ジム・トンプソンの法廷管財人はタイ王国の省庁からジム・トンプソンの名を冠した財団設立の認可を受けました。トンプソンの資産は財団の所有となり、その邸宅と美術コレクションは現在、私設博物館として公に登録されています。
財団設立の際の認可状によって、財団はジム・トンプソンの永続的な権利を擁護し、タイの豊かな文化遺産の維持、保存のために貢献、専念するものです。」

 紹介文で赤字にした部分、すなわち、ジム・トンプソンの失踪事件はミステリーである。
この事件を題材にした著作を写真1に示す。
この中で、俳優の中村敦夫 著 「チャンマイの首」を最近読み返して見た。タイを舞台にしたハードボイルドであり、私が行ったことのある場所がいくつも出てきて懐かしかった。




  ジム・トンプソンの家はスカイトレインのNational Stadium駅から歩いて10分ほどのところにある。
写真2は案内板、写真3は玄関である。



 日本語ガイドの案内もあり、内部の展示物について詳しく説明してくらる。(内部は撮影禁止である)
私がこの場所が好きなのは、建物が糖蜜色類似色であり、それが熱帯植物が茂る庭園の緑色を背景に、良く映えるからである。
写真5で①②③④は糖蜜色であるが、⑤⑥⑦⑧は赤紫色を帯びている。


 写真6と写真7は2003年にタイに駐在していたときのものである。

 
 
 写真8は蚕についての説明板の写真から切り取った一部である。


 繭(写真9)や染色した絹糸(写真10)も展示してあった。



 きれいなお嬢さんが繭から生糸をつくる作業を見せてくれた。(写真11)


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