207. ラオス山岳地帯の道  2018年4月25日

 2002年12月31日から2003年1月3日かけてタイ在住の日本人ツアーに参加した。
中国雲南省のシップソンパンナーにバンコクから飛行機で飛び、それから車(バン)でラオスの山岳地帯を通りラオス:タイ国境の町ファイサーイをめざす図1のようなルートであった。
この時期、ラオスは乾季で雨は降らないはずなのだが、このときは不幸にも季節はずれの雨となり観光旅行が冒険旅行となってしまった。
シップソンパンナーからルアンナムターまではまともな道路で何の問題もなかったが、その後の山越えの道を行くのは困難を極めた。




 写真1.といれ休憩で立ち寄ったラオス山岳地帯の民家である。高床式の草葺きの家はもうタイでは見かけない。
 黒豚も印象に残った。
 
 写真2. ぬかるみでスリップした車を押すツアー客。私もその中の1人だった。
 
 
 写真3.車がぬかるみから脱出するのを心配そうに待つ人たち。
 
  写真4. 小川には車が通れる橋はかかっていない。
  乗客は車からおりて丸太でできた橋をわたり、車はそのまま小川を突っ切った。
 

 写真5.車をぬかるみから出すのを手伝った私はごらんとおり泥だらけになった。

 
 
 写真6. またしても崩れそうな橋を渡らなければならない。
 乗客は降りて歩き、車は注意深く通る。
 村の子供達が集まってきて様子を見ていた。
 

 写真7. 渡りきった後の小さな橋のタイヤ痕を記念に撮影しておいた。
 通った道路はすべて赤土であった。


 
 このあとは日が沈み、車外はまっくらで何も見えず、写真撮影もしなかった。
 無事に目的地に到着することを祈るだけであった。
 ファイサーイに到着したのは23時過ぎであった。
 ラオス側のイミグレーションは閉まっていたため、急遽空いていたホテルに宿泊した。

 写真8.旅行スタッフの写真である。
 この中で「ラオスの道案内人」がいる。最初どんなことをする人かと思ったが、この人がいなかったら
 無事ではいられなかったと思う。
 道路の緊急修理、車の誘導に大活躍であった。
 

 図2に道の色のRGBと色見本を示した。
 いずれも糖蜜色である。
 糖蜜色は好きだが、この旅は糖蜜色の泥に悩まされた思い出である。
 
 
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