226. アユタヤ遺跡 2018年7月5日

 アユタヤはタイの古都であり「世界の教科書シリーズ⑥ タイの歴史 (タイ高校社会科教科書) 柿崎千代 訳、明石書店2002年)には以下のように記載されている。
121ページ、アユッタヤー時代の政治的変容:仏歴1893年(西暦1350年)、ウートーン王(ラーマティボディー1世)はアユッタヤーを建てた。
当時のアユッタヤーは、タイ人の「領国」の一つにすぎなかった。だが、チャオプラヤー川の中部流域という地理的条件が、軍事的にも経済的にもアユッタヤーの有利につながった。
アユッタヤーは急速に「王国{anachak}}へと成長し、417年にもわたる権勢を誇った。
 アユッタヤーを有利へと導いた地理的条件とは、タイ人が主食とする稲の栽培に適した中部の平地に国を置いたことであった。
アユッタヤーの農産物の生産量は、高地や野山にあったその他の領国や王国よりも多かった。
また、アユッタヤーはいくぶんか海にも近く、外国との交易にも都合がよかった。
このためアユッタヤーは地域の中心的な都市国家となり、森林の産物など地元の商品を外国へ輸出するようになった。
特に、中国やアジアの近隣諸国との交易が盛んであったが、やがて西洋諸国とも交易を行ったり外交的関係をとり結んだりするようになった。

 この教科書では「アユタヤ」を「アユッタヤー」と表記しているが、この方がまちがいなくタイ語の発音に近い。しかし、ここでは日本で通常使われている「アユタヤ」と表記する。

 権勢を極めたアユタヤであったが、重なるビルマとの戦争で宮殿や寺院は破壊され、今はその廃墟が世界遺産として登録されている。

 写真1から写真8にはその遺跡の写真を示し、RGBを測定した。
それぞれの遺跡には寺院の名前があるが、ここでは記載しない。


 表1にはRの小さい順に並べたRGB一覧表を示し、図1にはRに対するG,Bのプロットを示した。
多くの遺跡の色はR>G>Bとなり明らかな糖蜜色である。
大部分がレンガの色に由来する。
図2は平均RGBの色見本を示した。

 

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