153.徐福伝説1(書籍) 2017年4月12日
徐福伝説とは何かということについて、私が説明するよりも教科書に書かれた物をそのまま引用した方が正確であると思う。
ここでは、「若者に伝えたい中国の歴史」(写真1)という教科書から以下に引用した。
徐福の伝説
「中国と日本の史書には、徐福に関する記述が少なくない。
2200年余りまえ、徐福は秦の始皇帝〔在位前247 - 前210〕 の命令を奉じ、たびたび数千人の童男童女と有能な工匠(千童百工と称する) を率い、
’蓬萊の神仙’
の長生不老の薬を求めて海上に繰り出した。
そのような仙薬を見つけられなかったので、最後は到達したせん洲に留まったが、せん洲とは日本にほかならない。
中国東部の沿海には、徐福伝説に関する遺跡が少なくない。
山東省の龍口市には徐福と関係のある村が20余りあり、河北省塩山県の千童城は、言い伝えによれば、徐福が千童を集めて船出したところであり、江蘇省の
海洲湾一帯でも製鉄と造船の秦代の遺跡が発見されている。
日本には、徐福に関する伝説や記述が非常に多い。
徐福の上陸地と見なされているところが20か所余りもある。
たとえば九州の佐賀県伊万里港の畑津、波多津町、博多な どの地名の発音は、’いずれも’秦’ と関係があり、鹿児島の平浦、和歌山県新宮市などには徐福の
上陸地点を示す標識がある 。
日本には徐福の伝説と関係のある遺跡が数百か所 もある。
たとえば、九州北部の佐賀県武雄市、本州中部の和歌山県、本州北部の青森県には蓬葉山があり、高知県佐川町、和歌山県新宮市などには徐福の顕彰碑があり、
紀伊半島の三重県熊野市には徐福墓、徐福祠、徐福宮があり、秋田県男鹿市には徐福塚がある。
徐福を先聖として崇拝し、’司農神’、’司薬神’ として尊び、 いまなお徐福を記念する祭日が残っている地方が少なくない。
たとえば、佐賀県佐賀市の金立神社は4 柱の祭神のうち1 柱が徐福で、氏子は毎年’初穂’ を献上するとともに、50年ごとに大規模な徐福大祭を催している
-(最近は1980年)。
そのほか、和歌山県新宮市の’徐福供養祭’、’神馬渡御式’、三重県熊野市の’徐福万燈祭’、’徐福祭’ などにはいずれも特色がある。
徐福伝説を稲作文化東渡の象徴と見なす学者もいるし、さらに徐福を.目本 建国史上有名な神武天皇と見なす学者さえいる 。
徐福が日本に赴いた事情は、歴史資料による充分な裏づけが必要であるけれども、現存する多数の伝説は、中日両国は前200年以前から交流していたことを物語っている 。」
私が徐福に興味を持っているのは始皇帝の命令で長生不老の薬を求めて日本にやってきたことである。
そのような薬はそれから2200年たった今でも見つかっていないが、それを探し続けることは人類のロマンである。
私は徐福に関する本を何冊か所蔵しているので、今回はそれらの表紙だけを写真で紹介する。内容についてはインターネット等で調べたいただければ幸いである。
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