259. 大貫探索会 2018年12月19日

 私の住所は宮崎県延岡市大(おおぬき)町である。
写真1の宮崎県北神話伝承マップを見ると大貫(おおぬき)は王の城(おおのき)と呼ばれていたと記載されている。
古墳などが多く見つかっているところから古代の有力者がこの地に住んでいた物と考えられる。




 私は大貫生まれではなく、出身は三重県であるのでいつも大貫の歴史をもっと知りたいと思っていた。
 そして、今年の秋、西階(にししな)地区青少年育成連絡協議会が南方地区探索会を開催しており、今年は南方地区の中の大貫地区を探索することを知った。
 参加するのは地元の小中学生や指導の先生方が中心であるが、私も一般参加させてもらうことにした。
 配布された計画書を見ると目的は次のようになっている。
 「参加者が一緒に歩いて南方地区の歴史や文化を探索することを通して、参加者同士の交流を図るとともに、南方地区のすばらしい歴史や文化にふれさせ、
かっては延岡の政治経済の中心地であったことを感じさせながら、将来、くじけそうになった場合でも児童生徒を支える誇りを育てる。」
 また活動内容は以下のとおりである。
 ①参加者みんなで南方地区内を歩く。今年度は、大貫地区。
 ②当時の様子や暮らしを考え、南方地区は延岡にとってどんな土地だったかみんなで考える。
 ③大貫地区の神社や名所旧跡などを見学し、歴史的な内容を理解する。


 集合場所は西階中学校である。今回の参加者はおよそ130名であった。(写真2)
 
 最初の訪問地はガンガン石である。私も良く存じ上げている地元の長老が説明されている。
 写真の下の説明は当日配布された計画書に記載されてものをそのまま引用した。
 ガンガン石については63節「ガンガン石とタブノキ」239節「ガンガン石の樹木の剪定」も参照されたい。

 
 ガンガン石も私の家の近所であるが、写真4の野地の石人は私の家の隣である。
人が多く祠の中の石人はゆっくり撮影できなかったので、写真5に以前撮影したものを示した
石人は淡い糖蜜色をしている。
地元では愛宕地蔵と呼ばれ、火除けの御利益があるとして大切に祀られている。
 

 


 写真6は大貫貝塚である。この付近の土地は現在大貫区所有の墓地として整備されている。
 
 写真7の第24号墳も大貫区有の墓地(浄土寺山墓地)に隣接している。
 このあたりの高台は古代も現代も墓地として最適なようだ。
 

 写真8の大将軍神社は大貫中区公民館のすぐ上にある。
 大貫区は上区、中区、下区の三区に分かれ、それぞれに公民館があるが中区は中央公民館の役目を果たしている。
 大将軍神社はまさに大貫区の中心にあると言える。

 

 大貫区の役員会には氏子総代と言う役員があり、氏子総代が中心になって大貫神社で夏と秋にお祭りが行われている。
 丘のような古墳の上にある大貫神社はその草刈りや、神木である杉の木の手入れがかなりの重労働であるが、
 区民が集まって定期的に実施されている。
 
 
 写真11の虎御前は今回の探索会で初めて知った。
 

 写真12の切り通しは、私は近道として日常的に使用しているが、そのような歴史があったとは知らなかった。
 聞いてみないとわからないものだ。

 

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