314.バンコク騒乱 2019年10月16日
バンコクのことを書くならやはり赤シャツ派と黄シャツ派の衝突によるバンコクでの騒乱を避けることはできないだろう。
赤シャツ派とはタクシン元首相を支持するグループであり黄シャツ派とは反タクシン派のことである。
タイの政治のことについて述べるのは本稿の目的ではないので、詳細は文献1を参照されたい。
文献1第2部の後書きにあとがきにあるように2010年におこった騒乱についてはまだ発行されていない第3巻で取り上げるとのことである。
本節ではこのときのことを記述することにしたい。このときの政権は黄シャツ派であり、反政府側が赤シャツ派であった。
写真1は赤シャツ派のオートバイデモ、写真2はラーチャプラソン交差点の高架下を占拠した赤シャツ派の人たち、写真3は巨大ショッピングセンターであるセントラルワールド
前の道路を封鎖占拠しているところである。セントラルワールドの一番奥に日系百貨店である伊勢丹がある。
写真3の右下に私の大好きな象の銅像がある。
写真4は勃発した赤シャツ派の暴動を抑えるために出動した軍隊である。
5月19日夜間外出禁止令が出され、バンコクに住む駐在員の家族は安全なナコンパトム県にある工場の寮に避難した。
暴徒化したデモ隊の一部がセントラルワールドに放火した。
写真5はその10日後の様子である。
6月27日には復旧工事が始まっていた。国民が手を繋いでいる人形が有りそこには多くの寄せ書きが書かれていた。(写真6)
比較的被害が少なかった伊勢丹は営業再開の準備中であった。
写真7は翌年2011年10月のラーチャプラソン交差点の様子である。
完全に賑わいを取りもどしている。
2011年3月11日の日本の大震災、津波、原発の被害について多くのタイ人からお見舞いの言葉ををいただいた。
しかし、このあとタイは未曾有の大洪水に見舞われることになる。
赤シャツと黄シャツを混合して暗い色にすれば、糖蜜色になる。(図1)
私はタイを2分した2つの色が融合して糖蜜色になれば良いとこのときいつも考えていた。
シーナムタンこそ平和と融合の色である。
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